佐藤さんは、長年連れ添った妻の和子さんを亡くしました。和子さんは生前、活発な方で、地域のコーラスグループや絵手紙教室など、多くの交友関係を持っていました。しかし、最期は穏やかに家族だけで見送られたいという本人の強い希望があったため、佐藤さんと二人の子供たちは家族葬を選びました。葬儀が滞りなく終わり、少し落ち着いた頃、長女の恵さんは父の佐藤さんと話し合いました。「お母さんの友人たちに、どうやって伝えようか」。電話をすれば相手を驚かせてしまうかもしれない、かといって何も知らせないのは不義理にあたる。話し合った結果、恵さんが中心となって、和子さんの友人一人ひとりへ手紙を書くことにしました。恵さんはまず、和子さんの住所録や手帳を頼りに、手紙を送る相手のリストを作成しました。そして、コーラスグループの仲間、絵手紙教室の友人、古くからのご近所の方々など、関係性ごとにグループ分けをしました。文面は、基本的な訃報の事実に加え、相手との関係性に合わせた一文を添えることにしたのです。コーラスの仲間には「母はいつも、皆様と歌う時間を何よりの楽しみにしておりました」、絵手紙の友人には「旅先から送っていただいた絵手紙を、母は宝物のように大切にしておりました」といった言葉を加えました。恵さんは、母の人生がどれほど多くの素敵な人々に支えられていたかを、手紙を書きながら改めて感じ、涙がこぼれました。その手紙は、単なる訃報の通知ではなく、母に代わって生前の感謝を伝える、温かいメッセージとなりました。後日、友人の方々から次々と心のこもったお悔やみの手紙や電話が届き、佐藤さんと恵さんは、自分たちの選択が間違っていなかったことを確信したのでした。